ベーシックインカムの射程:フィンランドの社会実験を素材に (3)

3. ベーシックインカムに関するフィンランド国内での議論と支持動向

 ベーシックインカム社会実験の開始と前後して、フィンランド国内でもベーシックインカム構想に関して盛んに議論されるようになっている。そこで本節では、フィンランドにおけるベーシックインカムの射程、換言すればその可能性と限界を了解するために、代表的な議論を整理したうえで、国民各層の支持動向を探ることにしたい。

 

(1) 即効的問題解決策としてのベーシックインカム 

 前節が示唆するように、ベーシックインカムは深刻な経済停滞の中で提案・議論されていることを考えれば、それが短期的・即効的な問題解決手段として強く期待されることは自然であろう。次の3つの議論に大別することが可能である。

 第1に、ベーシックインカムの効果として最も議論が集中しているのは、失業者に対して求職行動を促すという期待である。後述のように、これは現在行われている社会実験の最大の目的でもある。失業中に受給している手当は、職を見つけて就業すると打ち切られる上、手当の金額が給与所得を上回る可能性がある。そのため、手当の受給者には就労インセンティブが働かない可能性が高く、このことが高失業率を持続させる一因であると指摘されている。そこで、失業中か否かに関係なく給付されるベーシックインカムで失業諸手当を置き換えることによって、就労インセンティブが高まり、失業率を下げることが期待されている。

 第2に、諸手当が細かく分化し、なおかつその受給条件が設定されているため、給付のための手続きが煩雑であり、その管理のための人員も多く必要になっている。無条件で全市民に給付されるベーシックインカムを導入することによって、この非効率性を緩和できると期待されている。

 また第3に、グローバル化やロボット化の進展に起因する労働市場の変化への対応策としても、ベーシックインカムは期待されている。代表的論者は、ストックホルムを本拠とする北欧の金融グループであるNordeaの取締役会長であるBjörn Wahlroosである。彼によると、グローバル化によってフィンランドの賃金水準を下げる必要があり、それによって企業は雇用を増加させると考えられる。また、経営状態に即応して雇用・解雇を柔軟に行えるようにする必要があるという。これらを達成する手段として、ベーシックインカムは優れた手段であるというのが、彼の見解である(Finland needs basic income and low-paid work, Helsinki Times 2016/9/15)。また同様に、ロボット化によって「低賃金労働か失業か」という選択肢にフィンランド人は直面せざるを得ないというが、ベーシックインカムはこのいずれの問題に対しても解決策となりうると彼は論じる(Banker Wallroos: Basic income only viable solution in face of massive job losses, Yle 2016/10/22)。しかし、現実に人々が欲しているのは、仕事なき所得保障ではなく仕事そのものであるから、彼のような考え方でベーシックインカムを導入しても、結局は失敗するだろうという厳しい批判もある(Basic income and the new universalism, Sitra)。

 以上のように、市場メカニズムの作用を通じて、あるいは政府による裁量を排除することによって効率化をはかり、経済の活動水準を上げる手段になり得るというのが、ベーシックインカムについてフィンランドで行われている議論の大半を占めると言って差し支えない。その結果、ベーシックインカム構想は経営者層を含む広範な支持を集めやすい社会構想になっていると考えられよう。

 

(2) 長期的・趨勢的変化への対応策としてのベーシックインカム

 ベーシックインカムを即効的な問題解決手段としてのみとらえる以上のような議論を批判し、長期的・趨勢的な変化への対応策ないし契機として位置づけるべきであるという、よりラディカルな議論も行われるようになっている。フィンランドの場合に特筆すべきことは、そうしたラディカルな議論が、NPOはもちろんのこと、議会傘下の公的ファンディング機関であるSitra(フィンランドイノベーション基金)においても行われていることである。

 こうした長期的視野からの議論がなされている背景として、Sitraのあるレポートは、戦後に構築されてきた労使・政府の3者間による「社会契約」がもはや壊れてきているため、新しい社会契約が必要とされていると指摘している。すなわち、労使双方ともにもはや長期的雇用関係を期待しなくなっていて、なおかつ政府にとっても、長期的雇用関係を前提とした課税が困難になってきている。このことは、社会保障の刷新を含む新たな社会契約が必要であるということを意味する。さらに、工業社会からポスト工業社会への移行に伴い、労働内容・形態の変化に沿って社会自体も変わらなくてはならない。ベーシックインカムが議論されているのは、まさにこうした長期的・趨勢的変化という文脈においてであって、工業社会の延命装置としてのみベーシックインカム構想を捉えるのは過小評価である。新しい社会契約を生み出す巨大な潜勢力を持った構想としてベーシックインカムを捉えるべきだというのが、彼らの議論である。すなわち、ベーシックインカムを施行した結果の重要性もさることながら、それと同等以上に、ベーシックインカムを施行するまでの討議プロセスの中で、ポスト工業社会の普遍主義的ビジョンが構築・共有されることが重要である(Basic income and the new universalism, Sitra)。つまり、ベーシックインカムにはポスト工業社会の「産婆役」が期待されているわけである。

 ここでSitraが強調しているのは、ベーシックインカムが普遍主義(universalism)的な構想であることの意義である。「普遍主義的」とは、すべての市民に対して一律で給付されることを指す。条件を満たす者のみに限定された給付は、しばしば受給者に不名誉の烙印(スティグマ)を押すことになりがちであるが、普遍主義的な給付はそうしたスティグマを回避できるという利点がある(5 views on what basic income should be and why it matters, Demos Helsinki)。さらに各国の政治の現実を見るならば、福祉国家の追求をはじめとする普遍主義的政治は1980年代に終焉し、個人主義・個別主義の政治が台頭した。Sitraの論者は、そのひとつの帰結が、普遍的利益を追求せずに個別的利害に関心を集中する、近年噴出しているポピュリズムであると見ている。ベーシックインカム構想は、普遍主義的政治を再興する方策の一つだと考えられるという(Basic income and the new universalism, Sitra)。

 ではなぜ、ベーシックインカムという構想とその財源が正当化されるのであろうか。シンクタンクであるDemos HelsinkiやSitraの議論は、社会経済の長期的変化からそれを正当化しようと試みている。著名な経済学者であるハーバート・サイモンは、ベーシックインカムを支持する次のような議論をしていて、それを彼らは援用している。すなわち、現在の財・サービスの生産はますます、科学的知識や信頼関係、社会制度などの社会的関係資本に依存するようになっている。こうした社会的関係資本は共有されているものなので、生産者に帰属すべき収益はより少なくあるべきで、課税対象とされたその残余は、社会的関係資本の担い手である市民に対して再分配されるべきであるとサイモンは論じた(Simon, 2001)。このことから、ベーシックインカムは給与所得の補填という局限的な構想である以上に、普遍的な市民権として積極的な位置づけを獲得することになる(Basic income and the new universalism, Sitra)。それを敷衍すると、ベーシックインカムの財源は必ずしも所得税に限定する必要はなく、例えば、共有資産である自然を使用した費用として課税される炭素税もまた、ベーシックインカムとして市民一般に再配分する財源として適当だと議論されている(5 views on what basic income should be and why it matters, Demos Helsinki)。さらに、資本・資産課税についても同様に、財源とすることが正当化されている(Does basic income solve anything? Grasp the arguments for and against, Sitra)。

 以上のように、ベーシックインカム構想は、工業社会に作られた社会保障の弥縫策としての意味を超えて、脱工業化を前提とした、より長期の社会構想の一環として、積極的な意味を持たせるべきだというのが、Sitraなどが行っている議論の主旨である。つまり、構想の効果いかんというプラグマチックな議論に局限せず、長期的な社会変化に対応した広義の福祉(welfare)のあり方を問うという、一層ラディカルな議論も並行して展開されているという事実は、フィンランドにおけるベーシックインカム論議の深さと幅広さを示唆しているだろう。

 

(3) 国民各層による支持動向

 ベーシックインカム構想に対しては、以下に見るように、職業別、支持政党別に少なからぬ支持率の格差がありながらも、2015年に実施された国民年金機構Kelaの調査によると、69%の国民が支持している。社会階層別の支持率は、学生74%、年金生活者71%、ブルーカラー労働者69%、上級ホワイトカラー労働者66%、下級ホワイトカラー労働者63%、自営業60%となっている(Kela, 2016)。これらとは異なるカテゴリーで尋ねている、自治体開発連合(Kunnallisalan kehittämissäätiö)による2015年調査によれば、失業者71%、企業家63%、学生57%の支持率となっている(Perustulolla hyvä kaiku kansalaismielipiteessä Kunnallisalan kehittämissäätiö 2016)。おおむね高い支持率であることは言うまでもないが、企業家の支持率も高いことは目を引く事実である。前出の通り、ベーシックインカムが人件費削減と労働市場流動化を後押しすると期待してのことだと推察される。つまり、普遍主義的なベーシックインカム構想は、やはり普遍的な支持を得ている。

 次に、支持政党別 (1)に支持率を見てみると、左翼連合86%、スウェーデン人民党83%、緑の党75%、社会民主党69%、真のフィンランド人党*69%、中央党*62%、キリスト教民主同盟56%、国民連合党*54%であった(*印は、現在の連立内閣を構成する政党を示す)。なお、キリスト教民主同盟以外の政党では、2002年調査から支持率が上昇している(Kela, 2016)。社会民主党は、支持基盤である公務員と労働組合員が、自身の基盤を危うくするベーシックインカムに反対しているとされ、それが支持率にも表れている。例えば、主にブルーカラー系の労働者を代表する労働組合連合であるSAKは、短期雇用を増やし、集団的労使関係を弱体化させるという理由から、ベーシックインカムに反対している(Finland’s basic income experiment begins: One man looks forward to a new start, Yle 2017/1/9)。左翼連合支持者のベーシックインカム支持率が高いのは自明であろうが、緑の党も、党首だったOsmo Soininvaaraが当初からのベーシックインカム提唱者だったこともあって、高い割合の支持者がベーシックインカムを支持している(Is Finland ready for basic income? Helsinki Times 2014/7/17)。連立与党についてみると、ポピュリスト政党である真のフィンランド人党、および、農民党を起源とし、地方への再分配志向を持った中央党の支持者の数値が相対的に高いが、新自由主義的な政策志向を持つ国民連合党の支持者による数値は低い。これらもまたそれぞれ、容易に理解できる傾向であろう。事実、Kelaによる同じ調査では、ベーシックインカムが労働意欲を低下するとした回答者は50%を超えたが、これは特に、政権与党である国民連合党と真のフィンランド人党の支持者に多かった回答である(Kela, 2016)。

 

(4)給付金額と財源に関する議論

 以上のように、総論としてのベーシックインカム構想は広範な支持を集めていると言えるが、意見対立が最も顕著に表れると考えられる各論のひとつが、給付金額と財源に関する議論であることは論を俟たない。

 諸組織・個人が提案している月額はかなりばらついている。例えば、給付額を提案している政党で見ると、緑の党440ユーロ、左翼連合620ユーロとなっており、また財界人による見解の例として、前出のWahlroos氏は850-1,000ユーロを提案している(Is Finland ready for basic income? Helsinki Times 2014/7/17)。2015年に国民年金機構Kelaが実施した質問紙調査では、最低年金支給額の1.4倍にあたる1,000ユーロが適当だとする回答者が最も多かった。Kela自身も、失業諸手当を破棄し、なおかつ就労インセンティブを保持するためには、最低1,000ユーロの支給が必要だと考えている。

 しかし、有力な財源と考えられる所得税率を合わせて、望ましい月額について尋ねると、回答の様相は一変する。税率40%で月額500ユーロという案への支持率は35%、税率55%で月額800ユーロという案への支持率は29%へと、支持率は著しく下落する(Kela, 2016)。もちろん、本節(2)で述べたように、所得税のみを財源とする必要はなく、環境課税をはじめとする広範な課税ベースがベーシックインカムの財源として正当だという議論も根強いことに留意するべきであろう。

以上、(3)および(4)の検討を踏まえるならば、フィンランドの世論は、ベーシックインカムを導入するべきか否かという総論で割れているという段階にはもはやなく、実現方法という各論をめぐって世論が割れている段階にあると言えるだろう。

 

(1) フィンランド放送協会Yleの最新調査によると、2017年10月3日現在の政党支持率は、国民連合党21.7%、社会民主党17.3%、緑の党16.6%、中央党15.8%、真のフィンランド人党9.9%、左翼連合8.3%などとなっている(Ylen kannatusmittaus: Demarien tilanne alkaa helpottaa – hallituskumppanien kokoomuksen ja keskustan kannatusero kasvaa, Yle 2017/10/5)。