ベーシックインカムの射程:フィンランドの社会実験を素材に (4)

4. ベーシックインカム社会実験

 以上のような文脈の中で、ベーシックインカムの社会実験が2017年1月から2年間にわたって実施されている。この社会実験は、中道右派連立政権である現政権が2015年5月28日に発表した政権プログラムの中で、社会保障システムの刷新を目的としたベーシックインカム社会実験を政策の柱のひとつとして据えたことに端を発している。実施主体であるKelaは、実験に当たっての問題意識を以下のように整理している。すなわち、(1)労働の変化に応じて社会保障システムをどのように再設計することができるか、(2)より強力な就労インセンティブを与え、就労意欲を高めるように社会保障システムを刷新することができるか、(3)現行の諸手当の管理に必要となる、複雑な官僚制システムを単純化し、諸手当の仕組みを簡単化できるか、という3点である(Kela, 2017)。今回の社会実験は、主に(2)の可能性を検証することを目的としている。

 実験の概要は次のとおりである。25-58歳の失業者からランダムに選ばれた2,000名には、社会実験に参加する義務がある。彼らの内訳は、男性52%、女性48%であり、25-34歳30%、35-44歳30%、45-58歳40%である。従来受給していた基礎失業給付や労働市場補助金は停止されるかわりに、月額560ユーロのベーシックインカムを受給することになる。ベーシックインカムは非課税で、再就職しても継続して給付される。なお、失業給付と労働市場補助金以外の諸手当は変わらず給付される。この条件下で、従来通りに給付・補助金を受給し続けている対照群と比較し、ベーシックインカム受給が求職行動にどのような影響を及ぼすかを検討することが、実験の主目的である。

 実験計画のための研究は2015年10月より行われ、ベーシックインカムの複数のモデルが分析・検討された。2016年9月には実験計画が回覧され、現行の実験よりも対象人数・金額ともに大規模な計画が提示された。しかし、法律や予算、スケジュール上の制約のため、結果的に、より小規模な実験を実施することになった(以上、Kela 2016; Kela 2017)。

 以上からわかるように、今回の社会実験はかなり限定的な規模(人数・金額)で行われ、ベーシックインカムが就労インセンティブを高めるかどうかという、重要だがかなり限定的な問題を検証しようというものである。また、給付の水準や財源といった、前節で述べたように対立が大きい問題に踏み込んだ実験でもない。したがって、社会実験によって確実な検証を積み重ねたうえで制度設計を行うという、現政権のスタンスが今後も維持されるとするならば、さらなる社会実験によって検証を積み重ねるべき課題は山積しており、現実にベーシックインカムが制度化されるまでには時間がかかると予想される。その意味で今回の社会実験は、ベーシックインカムの導入という、多大な労力を要し、相当の紆余曲折が予想されるプロセスの、重大だが小さな第一歩をしるしたものとみるべきであろう。