実態としての脱成長

脱成長論について本格的に論じる準備はないのだが,先進諸国は,実態としてはすでに脱成長の経済になってしまっていることは,以下の表の通りである.この表は,ある研究の準備のために作ったもので,年平均GDP成長率(%)を示している.

直近の2009年以降で見ると,米国,英国とスウェーデンが辛うじて1%台の成長率を保っている以外は,いずれの国もほぼゼロ成長かマイナス成長となっている.近年,比較政治経済学の分野で論じられるようになっている「成長モデル」(growth model)論は次のように論じている.すなわち,各国とも多かれ少なかれ賃金の伸びは抑制されており,「賃金→消費→経済成長」という回路は閉ざされている.その代わり,1)「賃金抑制→輸出競争力の確保→輸出→経済成長」という輸出主導型成長の経路をたどっているか(ドイツ),2)「負債→消費→経済成長」という負債主導型成長の経路をたどっているか(英米),ないしは,3)賃金はある程度伸び,国内消費を一定水準で確保しつつ,知識集約型サービスの輸出と組み合わせることによって経済成長を図る経路(北欧)のいずれかになっているという.特に1)と2)は持続可能性が低いことは明らかだ.つまるところ,実態としての脱成長の経済は,持続可能性の小さい基盤の上に立って成長を生み出しているということになる.

 

それは,環境負荷は小さい状態をもたらす経済かもしれないが,人々の生活の安定・安心にとってはよい経済とはいえない.環境負荷を下げるためには投資が必要であろう.その投資を可能にする程度の成長を生み出し,質の高い雇用を生み,人々の生活を支えうるような経済システムを構想する必要があるだろう.その意味で,脱成長そのものを目標にすることは,すでに達成されてしまっている状態を目標にしているという矛盾があると同時に,成長率という現象に囚われていて,その内実である経済システムをあまり考慮していないという問題があるように思われる.