現在と将来の両方をにらむ「冷凍」戦略:デンマークの経済対策

新型コロナウイルス感染症の拡大に対応するための経済対策については,すでに3月17日の時点でこうした提言が経済学者たちによって出されている.その提言も含めて,経済対策が十分に噛み合って初めて,感染防止策が有効なものとなるという認識も広くなされている.だからこそ,先行する他国での経済対策から日本が学べる点も多いだろうと思われる.しかし,比較検討の素材にできるような詳細な情報が少ないことにも気づかされる.そこで不十分ながら,先進的な経済対策を行っていると目されている国の一つであるデンマークの事例について整理しておきたいと思った.関心を持つ方のためにも,私的な覚書をここに公開しておきたいと思う.

なお私は,デンマーク経済の専門家ではないので,細心の注意を払ったつもりではあるものの,私が責任を負うべき誤りが残っている可能性がある.この点をご了解・ご容赦いただきたいと思う.

1.経済対策の内容
まずは,デンマークでとられている,もしくはとられつつある経済対策を整理しておこう.

(1) 給与向け給付
休業や低稼働率のために,従業員の30%以上,もしくは50名以上の従業員を解雇せざるを得なくなっている企業を対象に,月額30,000DKK(デンマーククローネ:47万円相当)を上限として,給与所得者の給与の75%を政府が給付する.残額の25%は企業が負担し,従業員には給与全額を保証しなくてはならない.なお,パートタイマーの場合は政府の給付額は給与の90%である.これらの従業員を解雇しない企業に限って申請できる.なお,従業員は5日間の有給休暇を放棄する必要がある.3月9日から6月9日までの3か月間適用される予定.

ちなみに,3月15日に発表された政府・労働組合・使用者団体による合意では,政府による給付は従業員給与の75%で,給与所得者の場合には給付の上限が月額23,000DKKとされていたのだが,3月30日に発表された新たな合意では,上のように上限が月額30,000DKKに上積みされた.新しい合意は,より多数の企業にこの給付を使わせることで,より多くの雇用を維持することを目的としている.実際,3月31日の時点では15,852社が申請していたが,4月3日の申請者は20,000社に増えている.

(2) 固定費支払い向け給付
収入が40%以上低下した企業の固定費支払いに対して(例:家賃,地代),政府が給付を行う.給付は固定費支払いの25-80%をカバーし,3月9日から6月8日の3か月間適用される予定.ただし,固定費が月額25,000DKK以下の企業は申請できない.なお,政府による休業命令のために休業を余儀なくされた企業は,固定費支払いの全額が政府によって給付される.

(3) 自営業者向け給付
収入が30%以上低下した,従業員10名以下の自営業者向けに,低下した収入の75%を政府が給付する.給付の上限は月額23,000DKKである.3月9日から6月8日の3か月間適用される予定.2019年度に月平均で10,000DKK以上の収入があった自営業者のみが対象である.なお,2020年に個人所得が800,000DKKを越えてはならないという条件付きである.4月3日現在,13,485社の自営業者と133名のフリーランサーが申請している.

なお,自営業者への経済対策がない,と述べているこの記事この記事は,事実誤認であるか,もしくは本施策の発表前に書かれているものと思われる.

(4) 債務保証
営業利益が50%以上低下した中小企業,および売り上げが50%以上低下した大企業を対象に,新規銀行借入の70%を政府が債務保証することで,必要な融資が実行されるようにする.

(5) 納税の延期
付加価値税の納税時期が次のように延期される.毎月納付する大企業の場合,1か月間ずつ延期.4半期ごとに納税する中企業の場合は,3か月ずつ延期.また,半年毎に納税する小企業の場合,6か月間ずつ延期.企業のキャッシュを確保することが目的.

(6) オンライン訓練参加時の給与向け給付
強制休業させられているレストラン,カフェ,バーや,顧客が大きく減ったホテルを対象として,30日間のオンライントレーニングを従業員に提供することで,政府がその間の従業員の給与を補填する.経営者は,トレーニング参加費だけを支払う.これによって解雇を防ぐことが目的.労働組合3F,業界団体HORESTAと政府とによる合意.

(7) 有給病気休暇
新型コロナウイルスの感染者に対して,政府が有給病気休暇の費用を給付する.またその場合,有給病気休暇の期間を通常以上に延長する.それによって,感染者の隔離を促進する.

(8) 失業給付の受給要件緩和
通常時には,失業給付を受給するためには,職業安定所で係員との面会を行うことを含め,実際に求職活動を行っていなくてはならないが,こうした求職活動なしでも失業給付を受けられるように要件を緩和する.また,失業給付を受給可能年数は2年間だが,それを超過してしまった人も特別に継続して受給できるようにする.3月9日から3か月間の特別措置である.

(9) イベント主催者向け給付
1,000名以上を集めるイベント(例:コンサート)を中止・延期せざるを得なくなった主催者や,既往症を持つ高齢者など,特に新型コロナウイルスに対して脆弱な人を集めるイベントの主催者に対して,政府が給付を行い,当該イベントが中止・延期されたことによる赤字を補填する.3月9日から3か月間の特別措置である.

(10) 輸出業者及び下請企業に対する債務保証 
収入が30%以上低下した輸出関連中小企業の新たな債務の80%を政府が保証する.また大企業の場合でも70%の債務を政府が保証する.これによって総額85億DKKの債務を保証すると見込んでいる.10月1日までの特別措置である.

2.速い意思決定と大規模な対策を可能とする諸要因
デンマークがこうした大胆な施策を素早く導入できている理由としては,以下のようなものが考えられる.

(1) 大きな税収規模と,失業給付を含むセーフティネットの充実
デンマークはもともと,充実した財源に裏付けられた「大きな政府」の国である.実際,OECD Revenue Statistics 2019によると,所得(GDP)に占める税収の割合は(2017年時点),日本31.4%,米国26.8%,英国33.3%,ドイツ37.6%に対して,デンマーク45.7%であった.北欧モデルの福祉国家の一国として,こうした財源に裏付けられて,失業給付をはじめとするセーフティーネットが充実しているのは言うまでもない.

もし仮に今回の危機に対して政府が上記のような経済対策を打たなかったとしても,第1に,大量に発生する失業者に対する巨額の失業給付支払いというコストが発生するし,また第2に,巨額の税収減少というコストも生じる.さらに第3に,危機が去った後も経済回復が遅れ,その分大きなコストが発生する(雇用大臣Hummelgaard氏の発言).

こうして,無策でも大きなコストが発生する以上,どうせコストがかかるならば,投資的な意味を持つ上記の政策を実施するという意思決定は行いやすいと考えられる.逆に言えば,ほかの事情を一定とするならば,セーフティネットが充実しておらず,所得に占める税収の比率が低い米国や日本のような国では,(1) 失業給付のコストが相対的に小さく,また税収減少というコストも相対的に小さいという理由によっても,また,(2) 財源問題に容易に逢着せざるを得ないという理由によっても,上記のようなラディカルな施策を採用しにくいと考えられる.

(補足)失業給付のコストをA,失業ゆえの税収減少のコストをB,経済回復が遅れることのコストをC,今回の給与向け給付のコストをDとする.すると,今回の純粋なコストはD-(A+B+C)である.A+B+Cが大きいほど,今回の純粋なコストは低い.デンマークなど北欧モデルの福祉国家はA+Bが大きい状況であろう.他方,日本や米国ではA+Bが小さいため,給与向け給付施策の純粋なコストは大きい. 

(2) 「コーポラティズム」的な意思決定
参照した記事のいくつかは,政府,労働組合,経営者団体が協議によって合意形成を図るという仕組みが,納得性が高い合意形成を素早く行えた一因だと指摘している.諸々の利害団体と政府が協議して意思決定していく仕組みは,政治学では「コーポラティズム」と呼ばれ,社会経済調整にとって有効な,北欧諸国に共通する仕組みだったというのが通説である.こうした中央政府レベルでの協議体制は,企業経営のグローバル化の影響を受けて徐々に衰退しているとされてきた.しかし今回の意思決定に際しては,少なくともデンマークの場合,依然として有効な意思決定の仕組みとして機能し続けていることを示唆している.露骨な利益誘導が批難を浴びたのは一つの例に過ぎないが,日本における利害領域分断的な意思決定に対しても問題を投げかけていると思われる.

(3) 電子情報の徹底的な把握
以上の施策には,ある条件を満たしたものだけが受給できるものがほとんどなので,当該条件を満たしていると「偽装」しての受給を回避しようとすれば,事前・事後のスクリーニングやモニタリングが必要になるだろう.しかし,雇用大臣Hummelgaard氏によれば,デンマークは徹底的にデジタル化が進んだ国であり,企業取引が電子的に捕捉されているため,偽装が難しい.デジタル化によって上記のような思い切った施策が可能になっているという側面があると言えるだろう.

3.背後にある考え方:現在の不安と将来の再開の両方をにらんだ「冷凍」戦略
基本的な考え方は,記事に登場する当局者の言を借りれば「経済を冷凍する」というものである.現時点で政策的に介入しないと,経済社会に対して大きなダメージをもたらすことになってしまう.他方,現在の状態をそのままに「冷凍」できれば,感染症の危機が終焉した時に直ちに経済を「解凍」し,活動を再開できる.例えば,上記(1)の給与向け給付は,せっかく信頼関係が成り立った労使関係を現状通りに維持することによって,経営の再開をスムーズにさせようとするものである.すなわちこれらは,一方では,目の前にある生活不安・経営上の不安を解消することで経済活動を不安なく停止させて,感染症拡大を食い止めるのに貢献する,現在にフォーカスした施策であると同時に,他方では,近い将来における経済・経営活動の再開を見据えて,有形・無形の資産を保全しようとしている点で,将来時点にフォーカスした投資的な意味を持つ施策でもあるということを強調したい.前者が感染拡大を防ぐうえで極めて枢要な意味を持つことは言うまでもない.しかし同時に,後者のような「資産の保全」という観点は,日本でももっと重視されるべきではないか.この「資産」には,文化的な活動に従事する個人はもちろん,自営業者を含む諸々の組織が含まれることは言うまでもない.日本で話題になっているアーティストやライブハウス,ギャラリーなどに対する経済的補償いかんという問題も,文化的な資産を冷凍して保全する投資という意味があることを強調したい.

 

施策の実効性を高めると考えられるのは,上記のほとんどの施策が「融資」ではなく「給付」であって,しかも十分な金額の給付だという事実である.財務大臣のNicolai Wammen氏が公共放送DRでのインタビューで強調したように,雇用を維持した企業への現金給付をはじめ,上記の手段はデンマークにとって「尋常ではない」ものばかりだということだが,それでも「現在は尋常ではない危機状態である」ということから採用されている.おりしも日本でも,雇用調整助成金の要件緩和や,助成率の上乗せが報じられている.また,中小企業向けの無利子無担保融資制度や,給付制度を設けることも報じられる.しかし雇用調整助成金は,承知の通り,給与支払いに対する給付ではなく,休業手当などへの支払いを補填する給付であって,1日の上限は8,330円である.デンマークの上記(1)とは支給される給付額が大きく異なっていることと,デンマークでは受給企業に対して全額の賃金支払いが義務付けられているが,日本ではそうではないことに留意すべきだろう.

4.結びに代えて
知識経済,クリエイティブ経済,文化経済などが,現状を指し示す言葉として,あるいは経済構造転換のあるべき方向性を示す言葉として語られるようになってから,もうどれだけ経っただろうか.今回の危機はまさに,ライブハウス,アートギャラリー,ミニシアター,あるいは人々が語らってアイデアを生み出す揺籃になってきた飲み屋やカフェを含む飲食店など,社会にとって重要な創造行為を支えてきた有形・無形の資産を飲み込もうとしている.そしてこれらの資産は,一度消えてしまったらおしまい,というものも少なくないに違いない.同じことは,ものづくりを根底から支える中小企業の技術・技能についても,また伝統工芸従業者や農業についても言えるだろう.今回の危機に対する経済対策を考える上で,所得・収益のフローの欠損を補填するということは不可欠であるが,有形・無形資産が消滅の危機に瀕しているというストック視点もまた決定的に重要である.それは感染拡大の阻止策をより実効的なものとし,なおかつ,社会経済の破壊を防ぎ,将来の再開に布石を打つものである.さらに野心的に考えるならば,Mazzucatoが述べるように,あらゆるアクターに利益が行き渡るような経済成長 (inclusive growth)を可能にする,サステイナブルな経済システムに変えるような政策的投資として位置づけることも不可能ではないだろう.それは大げさにいうならば,経済対策のビジョンと志の問題でもある.さて日本は,現在も将来も両睨みする施策をとろうとしているのだろうか?デンマークの経済対策は,はからずもそのことを日本に対して問うているようである.

補足(2020/4/12)

以下の記事(中日新聞4/12朝刊)によると,フランスおよび英国でも,一時帰休ないし休職状態にある労働者の給与を,政府が80%程度補償するとのこと.また同記事は,フランス,ドイツともに,個人事業主に対する給付を設定していることを報じている.


(参照:デンマーク関係)
(参照:日本関係)