多様性はどうして大事か?:David Stark (2009) The Sense of Dissonance: Accounts of Worth in Economic Life (Prenceton UP)

 更新が久々になってしまった!

 社会や組織には多様性が必要不可欠だという主張はよく耳にするし,現在では常識的ですらある.だがこの主張は,「異文化を受け入れることは大事だ」という,かつての大学入試小論文の定番問題とどことなく似て,本気で受け止められているとは思えない「軽さ」がある.それは恐らく,多様性があるとなぜ「いい」のかが,現実に即して本気で探究されていないからだと思う.経済社会学者のDavid Starkによるこの本は,組織における多様性の意味についての深い探究である(邦訳『多様性とイノベーション』中野勉・中野真澄訳).事実,この本に登場する調査研究の年季は,ハンガリーの社会主義企業における調査以来の20年弱で,問題意識の醸成にも同じくらいかかっているという.

 不協和に意味があるという原タイトル通り,「多様な評価原理の持ち主が共存・相互作用し,摩擦が生じるがゆえに,組織の創造的対応が可能になる」というのが,本書の基本的主張である.この主張が,3つのエスノグラフィに取り組むことで生み出され,丁寧に吟味されている.古くはアシュビー(Ashby, W.R.)の「必要多様度の原理」がそうであったように,複雑な環境に相対する組織が,自らの内にそれ以上の多様度を持った解決策を持ち,自らを複雑化しておく必要があるという主張は,これまでもあった.しかしスタークの強調点は,単に多様な解決策を準備しておくべき,ということではない.そうではなくて,摩擦を伴う多様性の「交配」によって新規性が生み出されるという点を彼は強調する.このことを,エスノグラフィを通じて彼は示している.例えば,資産取引に従事するディーリングルーム内部に踏み込んだ彼は,マネジャーがディーラーたちの思考・判断基準を多様に保とうとしていることを見いだす.変化が激しい市場で,思考・判断基準が一様化してしまうことは危険なのだ.またディーラーたちは,周りの者たちとのやりとりの中で,自身の基準を刷新していくのである.このプロセスは多分に即興的である.

 われわれは,同一の評価原理を組織成員が共有しているからこそ協調・調整が可能になって,組織が存続しうると考えることに慣れているから,多様性に伴う摩擦があるからこそ組織が存続しうるというこの主張は思考をとても刺激する.だがそれは,組織・社会にアンバランスが存在するからこそ人々の努力が引き出され,経済発展がもたらされるのだという,ハーシュマン(Hirschman, A.)の経済発展論ローゼンバーグ(Rosenberg, N.)の技術経済論に似ているし,また,都市の「輸入置き換え」による都市発展というジェイコブズ(Jacobs, J.)の都市発展論にもとても似ている.アンバランスは不快なものだから,人はそれを無視したいのだろう.しかし人の世が機械ではない限り,不協和・アンバランスの意味にもっと目を凝らすべきなのだと,改めて考えさせられた.

 この本には分からない点もいくつかある.第1に,この本は即興的なプロセスに注意を集中するが,時間がかかる技能・技術形成や能力構築のようなプロセスをどう考えるべきだろうか.変化の絶えないこの時代には「蓄積」的要素など必要ないという,かつての通俗的なポストモダン派のような考え方になるのだろうか.その系論だが,進化経済学派が組織ルーティンとか組織能力と呼ぶものは,スタークの議論の中にどう位置づけられるのだろうか.(不確実性が大きい状況下では)「価値について論争する枠組みが,組織の貴重な財産になるかもしれない」「不確実性を徹底的に活用する起業家精神に富む活動とは,個人の資質ではなく組織形態の機能のことであり,複数の評価原理が機能する状態を維持しつつ,生産性の高い摩擦から利益を享受する能力のことである」(邦訳36)「組織にはその形態の違いにより,持続的に生産的なパフォーマンスを測る基準間における生産的な競争関係を許容し,支える能力に差がある」(邦訳57).これらの引用は,ティース(Teece, D.)らのいわゆるdynamic capabilityの「ミクロ的基礎」を示唆しているようで非常に興味深いが,組織のこうした能力あるいは文化は,どのように維持・再生産されているのかという問いを惹起せざるを得ないと私は思う.それにはやはり,スタークの組織とは逆に,持続的・安定的な枠組みを必要とするのではないだろうか.

 第2に,こうした柔軟で創造性に富んだ組織は,成員にとって負荷が大きい組織でもあると想像する.個人の柔軟性を過度に要求する組織・社会は,個人にあるべき「錨」を喪失させる.その病理については,リチャード・セネット(Senett, R.)が執拗に論じてきた通りである.では,柔軟で創造性が高い組織は,はたして,また,いかにして,持続可能なのだろうか.持続可能性は別の観点からも問うことができる.不協和を通じた調整という,本書が焦点を当てるプロセスは,レスター(Lester,R.)とピオリ(Piore, M.)が言うところの「解釈」プロセスに他ならない.彼らは,発見的なこの解釈プロセスはオープンで制約を受けないものであるから,収益圧力を遮る制度的シェルターが必要だと述べる.そのシェルターの例はかつての中央研究所だが,それも収益圧力によって存続が難しくなっているという.そうだとすると,厳格化している収益管理の影響を,どのように考えたらよいのだろうか.テングブラッド(Tengblad, S.)による,マネジャー行動に関するエスノグラフィは,株式市場の圧力から現場に天下ってくる収益圧力が,確実に現場マネジャーの行動を変質させていることを示唆している.つまりStarkは,Lester and Pioreに比して,新自由主義がもたらす影響に対して楽観的すぎると思われる.

 最後に,とても興味深い指摘を一つあげておきたい.われわれは社会主義崩壊の原因を,市場メカニズムの欠如に求めることが普通であろう.それは効率性という基準の欠如を意味しているだろう.しかし彼は「多様性が少ないがゆえに適応能力に劣ったシステムが,多様性が多いシステムに敗れた」とする仮説を示唆している.そこでは「政治,経済,宗教,芸術等の分野に多様性があり,そこはマーケットに従属しない原理で構成されている」(邦訳391)と捉えられている.このことは,経済社会を効率性基準に一元化させることは,経済自身をすら弱体化させることを示唆しており,意味深である.構成原理・原則を一元化させない社会・経済・組織というものへの想像力を養う必要があるのではないかと痛感させられたが,それは生活上も研究上も,とても難しい課題だと感じる.

 

 このように本書は,私にとっては問題解決を提示してくれる易しい本ではなく,研究・検討すべき問題の所在を多様に示してくれる,噛み応えに満ちた本だった.組織問題を日々経験する社会人や,多様性というものに対してみずみずしい感性を持っていると思う学生・院生諸氏はどう考えるだろう?ぜひとも議論してみたい一冊だ.